14時46分。今年も、黙とうを捧げました。10年前、私は、現勤務小学校の1年教室にいました。その日は金曜日で、週末に持ち帰るものを支度している最中でした。そこへ、突然の地震。経験したことのない、ものすごい揺れに、驚き怖がる30数人の1年生。急いで机の下にもぐらせ、幼いこの子たちを全員無事に避難させなければと、不安でいっぱいな気持ちを奮い立たせことを今でもよく覚えています。
震災があった年の夏、親しい友人と行った被災地。当時、震災から5か月が経っていましたが、破壊された土地はほぼそのままで、津波の悲惨さを恐ろしく悲しく物語っていました。
いくつか回った中で、一番心を凍らされたのは、児童、教職員の約7割が犠牲になった大川小学校でした。津波に襲われた校舎は空洞のようにからっぽ。校庭には、がれきの山ができていました。がれきには、机やいす、ランドセル、教科書、ピアニカ、絵の具、習字道具・・・。小学校の日常が、そのまま山になっているような。言葉では言い表せないような悲しい喪失感に襲われました。3月11日のあの時間まで、確かにここに当たり前の小学校があった。子どもたちがいた。先生たちがいた。予想以上の大きな津波から、守り切れなかった日常。けっして他人事とは思えず、涙が溢れました。
宮城県に住む大学時代の同級生は、当時中学生だった娘さんを津波で失いました。10年経った今でも、探し続けているそうです。東日本大震災の多くの犠牲者、そして今なお様々な悲しみを抱えて生きている人々のためにも、けっして風化させてはならない。当時の記憶のない子どもたちにも、これから語り継いでいく必要性を改めて感じた黙とうでした。