実家の母がケガで入院して2週間。独り暮らしの父が心配で、学校勤務の帰りに毎日のように実家に寄っています。当園のぶどう作業は両親が頑張ってくれているものの、疲れが顔に出てしまっていたようで・・・。それを知った親友が、今日、素敵なプレゼントを届けてくれました。本人も忙しくて大変なのに。親友の温かさに感謝。私が明るく元気でいなければ。無理しすぎは駄目ですね。

昨日、不思議なことがありました。父にたのまれてキャベツの苗を買いに行った時、お店に入ろうとした私に、「この辺りにお花の買えるスーパーはありませんか?」と尋ねる人がいました。70代半ばくらいの女性でした。聞くと、三鷹から塩山まで電車で来たと。駅前でお花を買ってから実家のお墓参りに行くつもりで来たのに、駅前がすっかり変わってしまって買えなかったと。お花の買えるスーパーなら、ここをまっすぐ行けばオギノがあるけれど・・・。手荷物もあるし、お年寄りが歩くには少し遠い。私は、オギノまでその人を送ることにしました。オギノに行く間、その人のご実家が、うちと同じ玉宮にあることを知りました。でも、ご実家には連絡していない。寄らないで帰るつもりだと。その人は、バスで玉宮まで行きますと言ったけれど、昔のようにバスの本数はない。結局、買い物するのを待って、玉宮のお墓まで送ることにしました。

玉宮までの道すがら、ご主人が3年前に先立たれたこと。娘さんは5年前に難病を発症し、今は寝たきりになってしまったこと。その娘さんがおばあさんの夢をみて、自分にはもう行けないから、代わりにお墓参りに行ってきてほしいと頼まれてここまで来たことを話してくれました。

お墓についてみると、そこは偶然にもうちのお墓のある場所でした。その人は帰りはタクシーで帰りますからと言ったけれど、こんなところまでタクシーに来てもらったらいくらかかるかわからない。お墓参りが終わるまで、見慣れた風景を見ながら、痛みと戦いながら頑張っている母のこと、急に独り暮らしになって頑張っている父のこと、そして、難病でもう自分で起き上がることもできなくなったその人の娘さんのことを考えていました。

介護は大変。でも、介護できるだけ幸せ。私も難病だけど、今、こうして痛みなく生活していられる。感謝しなくてはいけないと改めて思いました。実家と疎遠になり、ご主人を亡くされ、寝たきりの娘さんがいるその人との一時間余りの出逢いは、きっと、何か意味があったように思えてなりません。