7年前の3月11日午後2時46分・・・私は、甲州市内の小学校の1年教室にいました。今まで体感したことのない大きな地震。とっさに、子どもたちを机の下に入れました。立っている足元が揺れ、校庭を見ると、照明塔がグワングワン傾き、プールの水が高く波打っていました。揺れは長く感じました。30人を超える教室のこの子たちを、全員無事に避難させなければ・・・そう思うとなおさら怖かったのを覚えています。

 子どもたちを全員返した後、自宅に電話しました。全員無事ということでホッとして職員室のテレビを見ると、津波が建物や車を押し流している映像が。目を疑いました。宮城に住む大学時代の友達に、帰宅してすぐにハガキを出しました。返事が来たのは、それから3週間たってから。友達とその家族は無事でしたが、多くの同僚や教え子たちを失ったと。そして、同じく大学の同期だった男性は、津波で流され行方不明になってしまった娘さんを探していると・・・。

 しばらくしてから、私は友人と宮城に向かいました。その友達に会うことはできなかったけれど、津波や火災の爪痕をこの目で見ました。最もショックだったのは、大川小学校でした。鉄筋で頑丈なはずの学校の建物は見る影もなく、積み上げられたガレキには、子どもたちのランドセル、机や椅子、絵の具や習字道具などがありました。こんな悲惨なことが起こっていいのか・・・胸が痛みました。

 今、黙とうを捧げました。『四季彩屋ひろせ農園』のブドウ畑には、フキノトウが顔を出しています。今、生かされていることに感謝しながら、一日一日を大切に生きていかなければと改めて思っています。

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