山梨県立中央病院

 5年前の1月29日も金曜日でした。甲府市和戸の専門医で、私はその日、膠原病『全身性エリテマトーデス』と告げられました。一度では覚えられなかった病名。膠原病って、今まで聞いたことはあったけれど・・・。未だ、原因も治療法も解明されていない根治困難な難病。発症時の私の症状は重く、週明け2月1日から山梨県立中央病院に即入院。最低でも2か月の入院が必要と診断されました。

 翌日は、具合の最悪な体を押して、勤務していた小学校へ。管理職に、当時担任していた1年生の引継ぎをし、1年教室や職員室の自分の荷物を整理しました。あと2か月を残して、担任を辞めなければならない。寂しすぎて、申し訳なくて、受け入れることはできませんでした。翌日は、できる限りの食料品や消耗品などを買い、主人や義母に家事を頼みつつ入院の支度をしました。末っ子の息子は高校受験を控えていたのに、少なくとも2か月は戻れない。家族と離れ離れ。終わりの見えない難病への不安。「入院なんてしません。」そう言いたくても言えないほど、耐え難い痛みが全身を襲ってました。当時49歳。それまで生きてきた中で、一番つらく苦しい出来事でした。

 あれから5年。長かったようで、あっという間でした。入院してまもなく、ネットで検索した『全身性エリテマトーデス』患者の5年生存率は80%。目の前が真っ暗になりました。絶望して自暴自棄になっていたあの時の私に言ってやりたい。「大丈夫。痛みはなくなるよ。元気になるよ。また小学校に戻れるよ。」家族はもちろん、友達、教員仲間や教え子、そしてそのお母さんたち。いろんな人たちが励ましてくれました。中でも親友は、何度もお見舞いに来てくれた。毎日かかさずラインをくれた。どれだけ心強かったか。親友のラインは、5年経った今でも毎朝続いています。どん底から抜け出し、少しずつ前向きになれた心から感謝しています。これからも、気持ちで負けずにポジティブに、精一杯明るく生きていきたい。病気で失ったものもあるけれど、病気をしたからこそ得ることができたものもある。『全身性エリテマトーデス』記念日は、私にとってとても大切な日となっています。

 

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